聞き手に話を投げかける
あるクラブの例会で、K会員がスピーチをされました。
かってKさんは、K電機(株)の社長をしておられました。
お話は、ごく短い時間でしたが、聞き手をトリコにしたいい講話でした。
話された内容を、要約してみます。
「仕事をやめてからの1年というものは、なんとなく落ちつかない日常生活を
過ごしたものでした。
やがて、ようやく自分なりの生活サイクルができて、今まで仕事に追われて
できなかった趣味や、やりたいことも、すべてできるようになりました。
毎日がとても楽しく、ゆとりのある日々を暮らせるようにもなりました。
ところが、自分は楽しいのに、何かどこか物足りなさを覚えるのです。
何か足らないものがある。何やろ、何が足らんのか。なぜなんだろう。
どうして…と考えているうちに気づいたことがあった。
それは以前と比べ、“今は喜びあう相手がいない”ということでした。
会社にいたときには、従業員に給料を手渡し喜んでもらい、
また受注の仕事が完成すると、施主が心から喜んでくれたものでした。
自分も嬉しく、それなりの満たされた思いに浸れるのでした。
今はそれがない。相手に喜んでもらう、それがない。
この年齢になって、ようやくわかったことでした。」
聞けば、ごく普通の身近な話です。
しかし、皆さんは身をのり出すように聞き入ったのでした。
そこで、Kさんの話に、皆が聞き入る要因を、整理してみました。
① とにかく「身近な真実の話」これです。それを自分流で話している。
② 自分の話に聞き手を参加させている。
「それは何でやろ、何でかなあ、前とどこがちがうんやろ」と、
話を投げかけて、聞き手を「ウムウム、なるほど、それで」と引きこませ、
話し手と聞き手の歯車をかみ合わせている。
③ 考えさせる「間」を取り、そのあとで自分の答(相手に喜んでもらう…それがない)
を出し、聞き手を納得させている。
聞き手はきっと、Kさんのいうとおりだ、と思ったに違いない。
「人に喜びを与えると、それがこだまとなり、再び喜びとなってかえってきます。」